statement

ミラーレス・ミラー

石井友人

「わたしの穴 美術の穴」というプロジェクトで、穴というモチーフを発見し突き詰めていった時、私にとっての穴は、身体における眼球やカメラという光学装置といった、現象しているイメージを受像する穴状の空間にあると考えるに至った。この穴状の空間に空いた僅かな隙間から差し込む光が、穴の奥のスクリーンに当たり、イメージを仄かに映し出している。しかし、ここで大事なことは、穴の奥にイメージが映し出されている状況と共に、そこにはそのイメージを見て、読み込み、認識する人間がいる、ということだった。ただ単に映っているイメージと、イメージに意味を見出していく人間、そのイメージと人間の関係自体がテーマとなり得たのだ。  私たち人間はこのような穴状の空間でイメージを受像した後に、それを模像として外部化する存在であるだろう。人間の眼で捉えられた光の情報が手によって絵画として描き出される時、その再現的なイメージは鏡というモデルで語られることもあるし、光学装置であるカメラからアウトプットされる写真は、その客観的かつ精緻な模像の在り方から一種の鏡として受け止められることがあるだろう。モニターやプロジェクションにおける映像、そして最近ではデジタルデバイスを用いたミラーリング機能まで、穴を通過した後に人間によって意味付けられ外部化されるイメージは、私たちの日常生活のありとあらゆる局面において存在するだろう。

 「ミラーレス・ミラー」という言葉を思いついたのは、2021年に私が実際に「ミラーレス・カメラ」を購入したことがきっかけだった。購入したカメラの内部では鏡が取り払われているという。反射板の有無はカメラのサイズダウンを促すテクノロジーの進化を感じさせたが、それと共に反射板を経由して私の眼へと光が伝達されていたものが、センサーを通じてイメージが受容されデジタルイメージとしてカメラモニターに表示されていることが新鮮だった。光は互換性の高いデジタルデータに即座に変換され、イメージとして表示され私たちの眼へと送り届けられるのだ。サイズダウンと軽量化、そしてこの反射板を経由する光の経路から、直接センサーへという光の経路の移行が、私たちの社会に存在するイメージのある種の前提条件になっているように思われた。iPhoneのカメラはもはや穴という空間すら存在しないセンサー直付けのデジタルデバイスであるかもしれないが、それでもこの変化が、個人が発信するイメージをSNS上で物凄いスピードで拡散させたり、私たちが地球の裏側の友達と気軽にビデオチャットが出来るようになったことも、この辺に勘所があるのかと思えた。

 人間の眼球やカメラという穴、そして穴という空間がサイズゼロ化されたスマートフォン、そこからアウトプットされるイメージ=鏡。これらのイメージは、穴の奥のスクリーンに存在した、ただ単に映っているプレーンなイメージではなく、感応され、切り取られ、色付けされ、意味付けられたイメージである。そして、私たちが見ているイメージ=鏡の世界は、押し並べて、既に何者かによる上記の工程を経てアウトプットされたものだ。それは私の見る経験に常に先行している。イメージ=鏡を見るという経験において、実は私は私という能動性を失っているという前提があり、イメージ=鏡の側が、寧ろ、私の見るという行為における認識を作り出しているとも言えるだろう。 穴の奥に映し出された仄かなイメージは、どんなに小さな存在であれ世界と地続きのものとしてあっただろう。イメージは穴の中で、切り取られ、加工され、鏡となる過程の中で、世界から分化していく。私たちの情報環境が発展すればするほど、このイメージの分化・人間化も加速していくだろう。それは否定も肯定もできない私たちがこの社会で生きていくことの条件でさえある。  「ミラーレス・ミラー」というコンセプトにおいて、私が考えたことは、現在私たちが生きる社会の情報環境を引き受けながら、この穴から鏡へと到る、イメージの世界からの分化というプロセスとその結果に対して、変化を与えてみたいということだった。イメージの世界からの分化が加速するほどに、そこには人間の欲望を中心とした鏡の世界が展開されるだろう。当然ながら、人間は人間だけが存在する鏡の世界の中のみで生きていくことは出来ない。

「ミラーレス・ミラー」に参加するアーティストたちの展示作品は、穴から鏡へと到る、人間によるイメージの世界からの分化、というイメージの生成プロセスを踏襲した上で、その後、それとは逆に、イメージを世界へと再び繋ぎ直すという、逆向きのイメージ生成を行う。それは一見すると同じように人間によって外部化され、世界から分化した模像の世界、イメージ=鏡のように見えるだろう。  しかし、私たちが「ミラーレス・ミラー」の体験の中で、非人間化へと向かう不可思議なイメージ=鏡という、そのさかしまな作用と出会う時、私たちは、自身の認識が一時的に失調し、未だ確定されていないものへと開かれ、組み替えられつつあることを感じるだろう。

「地底人とミラーレス・ミラー」ステートメント