/ この区域はサブウェイである田園都市線息尾大橋駅の出口である階段を上がって三宿へ向かうすこし勾配のある路はその上空を高速道路が通っていて、なのでここももう一つのサブウェイのようにどこか感じながら(時間の流れの速度もおおきく異なり)今回の石井さんの展示の会場に向かう、石井さんの絵画のことを考えるときリフレクションしている(幾重にも)、石井さんの絵画のモチーフになっているビルのショーウインドーだったりそのかたわらの観葉植物の鉢植がにわかに気になっていて、石井さんの絵画と石井さんの文章を読んだからなのか、それ以前から潜在的に(あるいは潜像的に)うすうすと感じていたものを、石井さんの絵画によって掘り起こされて、石井さんの文章によって光をあてられたのか、あるいは光にあてられたのか、三宿の交差点を左に折れるとまもなく SUNDAY と CUPSULE のある建物で、階段を降りていく、階段を降りる身体になって、階段を降りる思考を影のように引きずって、そういえば昨年何箇所かで石井さんの作品を見た内、アルファエムも地下で、まさにアルファエムが地下であることをあらためてあらわにする展示(高石さんキュレーションのものが第一部で、石井さんがキュレーションしたものが第二部だったと記憶していて、高石さんの展示では地下のさらなる地下をのぞいていたこと、石井さんの展示では通常とは異なる裏側へと廻って会場に入ったこと(あたかも鏡の裏側のような……)が、身体に記憶されていて、)で、その前だったか後だったかには三越で、それから銀座の東京画廊で見て、そのふたつはいずれも六階とかの、地上から見れば天空といっていい高い階層のフロアにて展示されていて、なので私は未だ地階あるいは地上で石井さんの絵画を見たことがなかったのかもしれなくて、 展示されている、絵画が(壁に磔にされつつ……、)宙に浮かんでいることをいま始めてのように不意に不思議におもい、
/// 絵画が垂直に在ることの不思議。アボリジニの画家(私が最も好きな画家の一人)エミリー・カーメ・ウングワレーの絵画は(そもそも彼女は絵画として描いていなかったのだったかもしれない、)描かれているとき水平に置かれ、おそらく水平な状態で完成形であった、それはおそらく天井画がその絵画面をとおして見上げる人たちと天空との交信を媒介するために、見るもののまなざしを、そして思考を、天井の向こうの天空へといざなうように、水平に地面に置かれた絵画は、そこに描かれたたとえばヤムイモの根がその絵画の下層(いまは文字通りの、)の内奥へと伸びていき、それを見るものの視線と思考とを、あるいは祈りのようなものを、大地としての絵画へとその地底へと誘致する。
//// 石井さんの絵画において、中心に置かれた◎はどんづまりなのか、あるいは鏡なのか穴なのか。あの穴をとおって絵画のうらがわへとぬける方法をかんがえてみる。鏡の裏側へ行く方法。建物の裏側へと、別の入口へと廻るように。
///// 絵画面は絵画の裏側(あるいは内奥)にあるものの表出、あるいはそれらを覆うものとして在り、そのとき被覆されているものは石井さんと私たちの下意識の土壌のようなものとしてあり、なので側面から見た土管、あるいは土星の輪…
////// 植物の根にとってどんづまりである、植木鉢の底である◎は、あるいは鏡として、私たちの視線の根、思考の根をそこに巡らせ、あるいはそこに滞留させ、私たちをこんどは土塊にする(それで石井さんの絵の前で身動きがとれなくなる理由が分かる)。 //////// ここは(すくなくとも昼間くると)外光がここまで届いてくるので、地上と見紛う、しかし地下である、という特殊のトポスにて、地上のような地下である、この場所に階段を降りて踏み入れると、鉢植の観葉植物がすでに天地逆さまになっていて、階段を降りる間に、知覚の天地が入れ替わっていたというように。
////////// アナグリフとアナグラム。それぞれ映像を言葉を分光してイメージに穴を穿つ。
/////////// いともひとしい、意図も等しい……何と?無意図、あるいは下意図と、
//////////// ひといしもとい、火と石も問い……であるならば、絵画も問いであり、穴も問いであり、
///////////// あなぐら、分光されたイメージの間隙から潜り込む。そこであなたはあなぐり、あなぐる。
////////////// 絵画のあなぐらにあなぐり、あなぐるこころみとして、あなたは床に横たわってみる。横たわり、石井さんの絵画を見おろしてみる。垂直性と水平性が攪拌されて、〈垂平性〉〈水直性〉などについてあなたは考えている。そうすると◎がいよいよ穴めいて、あなたを足もとから呑み込もうとしている。
/////////////// いま横たわっているあなたが上を見上げると、そこに在る石井さんの絵は天井画として在り、いまは◎は出口のように(あなたの)天空にそびえている。分光された空、見たことのない、空にまなざされていたこと、
//////////////// あなぐらに落ちて、いまはあなた自身が赤と青とに分光してしまったように感じる。それでこの絵がこんなふうに見えているように感じる。幼少のときのまなざしがあなたのあたまをかすめたが、その〈幼少〉があなた自身のそれなのか人類のそれなのか、分からないような気があなたはしている。
///////////////// あの空の植木鉢におさまっているのはあなただったのだということに気づき始めている。
////////////////// 絵画空間である鉢植に閉じ込められて。いまはどうすればこのルイスめく、居留守している地底人としての鉢植の、迷宮のようなあなぐらとしての部屋からぬけだせるのか(あなぐれるのか)あなたは考えている。
/////////////////// その◎の向こうに居留守しているもの(あなぐっているもの)のことをあなたは想像している。いしもひとしい、井戸に投げ込まれた石にも等しく、身じろぎもせず、あまねくあなたは居留守している(あなぐりながら……)。