essay

絵画の場所

近藤亮介

私たちが暮らす世界――それは近代が築いた世界の延長線上にある。そこではテクノ ロジーによって視覚が拡張され続ける一方で、足元に広がる大地との関係が途絶えつつ ある。私たちの多くは、長らくこの状況に危機感を抱いているが、抜け出す術を知らな い。石井友人の絵画と相対するまでは。

テクノロジーに対する人間の過信は、すでに古代ギリシャの「イカロスの翼」で暗示 されていた。イカロスは、父親が造った人工の翼で高く飛び過ぎたため、太陽の熱で翼 のノリが溶けて海に墜落する。石井の絵画におけるテクノロジー――それは光学装置で ある。《Sub Anaglyph》は赤と青のフィルターを通して見るための画像「アナグリフ」に、《Sub Image》はスキャナーで読み取った画像に、それぞれ着想を得ている。アナグリフは観者が3Dメガネをかけることで立体的に浮かび上がるが、私たちは肉眼で観ることを強いられる。ゆえに、その画像はいつまでも像を結ばない。また、スキャナーは本来、文字や写真などの2 次元の画像を読み取るための装置だが、作家はそこに3 次元の物体、たとえば石を置く。そうして出力される画像は、輪郭がぼやけ、揺らいでいるように錯覚させる。

石井の絵画は、このように近代の産物というべき光学装置の原理を逆手に取って、画 像を脱臼させる。なるほど19 世紀以来、アナグリフやスキャナーをはじめとする技術 は、あらゆるものを「表面=データ」へ変換してきた。事物は時空間から解放され、今 や私たちはいつでもどこでも視覚的欲求を満たすことができる。それは言い換えるなら、画像が物質から切り離され、情報と化したということだ。ストックフォトやSNS 投稿のように、情報としての画像は質量を持たず、匿名で透明である。しかし、絵画における画像は情報ではない。近代絵画が表明した通り、それは画家と素材が介在する不透明なイメージであり、画像と物質は表裏一体の関係にある。

ただ、石井の場合、絵画の物質性は他者ないし事物に委ねられている。というのも、 それは画家の行為すなわち「筆致」ではなく、他者の痕跡いわば「虚の物質性」として あるからだ。絵画は、画像をはらむ以前、子どもの遊び場であったり植物の土壌であっ たりする。要するに、石井は絵画を画像より先に存在する、出来事の生起する場所とし て捉えている。まるで地霊にうかがいを立てるように。

地霊とは、場所固有の性格である。この言葉は、今ではランドスケープや都市のデザ インに係る重要な概念として知られるが、遡ると詩人アレグザンダー・ポープの書簡詩(1731年)に行き着く。ポープは、当時イギリスで興った風景式庭園について「建てるとき、植えるとき、なにを意図する場合でも、〔中略〕すべてにおいて、地霊(genius loci/ゲニウス・ロキ)のうかがいを立てよ」と述べた。この記述からは、大地をはじめ万物を生み出す神である「産土神」が想起されるが、地霊は超越的な存在というよりも、場所の地形や地質といった視覚的・物理的な性格、ならびに人間の行為や歴史といった身体的・文化的な性格を意味する。つまり地霊は、有形か無形か、自然か人為かにかかわらず、長大な時間のなかで土地に刻まれ蓄積されてきた記憶の総体である。

一見したところ、地霊と絵画は無関係に思われる。地霊が「土地=不動産」に関わる のとは対照的に、絵画は「画布=動産」であるからだ。絵画はどこにでも移動すること ができ、そこに描かれる画像もまた場所に左右されない。しかし、絵画の源流を辿ると、場所と特別な関係を結んでいたことに気づく。洞窟の壁画や教会の天井画、寺院の襖絵など、もともと絵画は空間と渾然一体となってイリュージョンをつくりだしていた。それは観者の瞑想ないし忘我を助長する画像であると同時に、日常から異世界へ通ずる場所だった。庭園と同じく、絵画は地霊を顕現させる術だった。

絵画の場所――石井にとって、それはまず都市である。彼が繰り返し描いてきた郊外 団地や温室植物園などの人工環境は、まさしく都市の陰画だ。光学装置が物質と画像と の関係を切り裂いたように、産業革命による都市工学の発展は、人間を大地から徐々に 切り離していった。多摩ニュータウンで生まれ育った石井は、土地に縁のない移住者や 熱帯植物の生に自己を投影する。この点において石井の絵画は「自画像」である。にも かかわらず、石井の関心は自己の内奥というより、むしろ人類を取り巻く環境へ向けら れている。地球規模で都市化が進む現代においては、誰もが多かれ少なかれ根無し草の 都市生活者だといえるのではないか。とすれば、石井の絵画は私たちの自画像でもある。

だが、忘れてはならないのは、絵画が場所を表象する以前に場所そのものであるとい うことだ。画布の上のイメージは、地霊と同様、異なる時間における行為の重なりであ り、しかも時系列に沿って見えるわけではない。遠い過去の振る舞いが、眼前に突然現 れることだってある。だからこそ、画一的な都市にあって絵画は再び地霊を召喚する場 所となる。近代的な自己言及を超えた、現代的な都市生命の批評となる。 石井は、絵画という根源的な視覚メディアを用いながら、情報や快を与えることを周 到に避け、鑑賞者の視覚を一時的に麻痺させる。そして、現代社会を覆う記号的な画像 を無効化し、その向こう側に実在する世界への扉を開く。そこに他者の存在を、あるい は自然の働きを感じるとき、私たちは世界との繋がりを取り戻し、新たな生を授かる。

「イカロスと地霊」プレスリリース