観葉植物と帽子をかぶった女性が、明るい日差しの中見るものを迎え入れるような、さりげない日常の一コマを描いた作品と一見見えるかもしれません。とはいえ、その女性女性の表情を観察しようと目を凝らしても、それを読み解く事が出来る情報がとても少ないことに戸惑うかもしれません。さらに、高さ2メートル程のその作品に近づくと、より一層その茫洋とした表現の度合いは大きくなり、わずかにでも自然主義的な絵画を期待したものに対して不意打ちを食らわせるような色彩痕の集積が画面を覆っていることに気付く事になるでしょう。
見るものが作品の距離を保つ事によって、あるイメージを浮かび上がらせる芸術として印象派という動向がありました。明るい光に満ちている戸外の風景を表現するために、カンバスの上に原色に近い色を配置し、網膜上での混合を意図した手法でした。ただし、彼らの手法は感覚的であり、構築的な面が損なわれるといって離れていった作家がいました。
それに対して、より論理的にその技法を整えようとした者もいました。その代表的な作家であるスーラは、フランスの科学者シュヴルールによる色彩論をはじめとして、当時の最先端の論理を取り込んで色彩分割をより先鋭化し、網膜上の混交がさらに精緻に行われるように小さな点の集積による点描法という技法を生み出したのです。ただし、そこで結実した芸術は印象派の作品が持っていた躍動感ある作品とは異なり、静謐で古典的な風格をも感じさせるような表現を成立させました。
私が、石井友人の作品を見た時、最初に感じたのはそのような不思議な静けさでした。石井は学生時代から写真のような画像を題材に絵を描いていました。絵画に残されたモチーフとして写真を描いた作家にリヒターという作家がいましたが、石井は、写真と言う画像を現象的に分解する事によって、それがドットのようなデジタルの集積によって構成されることを認識し、それを再構成するような手法によって制作を続けてきたのでした。
石井は、現在の私たちの生活の中であふれている画像を分析的に読み解く事によって、この現実界を浮かび上がらせようとしているのかもしれません。そのような透徹した作家の眼が、日常的な光景に聖性を感じさせるような表現へと昇華させていったのでしょう。それはスーラが絵画の論理を外部に求めて到達した芸術と同様、拡張し続ける電子的視覚世界を象徴化するような行為が導き出した世界なのかも知れません。
「アート解剖学」 京都新聞