essay

「卵に対する植物の応答」がアートになるとき

大久保美樹

作品《卵に対する植物の応答》(La réponse de la plante à l'oeuf)が、パリを拠点とするアートアソシエーション「ILYAURA(イリオラ)」とパリのアートスペース「The Window」のパートナーシップを記念して発表された。2013年10月5日、第10回ニュイ・ブランシュ・ア・パリの夜である。

年に一度、パリ中の美術館やギャラリーが眠らないその夜は、メイン会場の一つ、セーヌ川河畔をまばゆい光の中に包んだ蔡國強の無数の打ち上げ花火のように、パリのあちこちで新しい出来事が生まれては消えて行った。パリの北東に位置するレピュブリック広場を一面の濃霧で覆い尽くした中谷芙二子のインスタレーションもそのような出来事の一つである。突如出現した巨大な中谷の「霧彫刻」は、普段見慣れたレピュブリック広場という空間を真っ白なもやの中に包み、生成され続ける霧は次第に深みを増してゆく。塗り重ねられた白さの向こうに世界の裂け目を創り出し、中谷の霧は、訪れる人々を「今、ここではない場所」へといざなう。

作品《卵に対する植物の応答》とは、ここに在るはずのない窓を創出し、時空間の裂け目に遭遇するすべての人々を未だ嘗て見たこともない関係性の中に投げ入れるための「装置」である。アートスペース「The Window」を取り巻く環境全体を「複数の大きな窓のある場所」に見立てるリアルタイムの映像インスタレーションである本作品は、フランス在住の二人のアーティスト、石井友人とマノン・ハロワ(Manon Harrois)の相互的な対話の中で構想された。筆者がイベント参加者と共同構築した「不思議なケーキ」の周縁が一つの中継点となり、そこに設置されたコンピューターが、異なる場所をオンラインで繋ぐ。フランスのランスとストラスブール、日本の東京と、2013年第3回目のニュイ・ブランシュが開催された京都という四都市がパリの「The Window」と結びつく。「The Window」は、正面が窓、三面が壁であるが、窓となる。それぞれの都市には、こちら側にいる私たちと対面し、抽象的、哲学的、現象的あるいは身体的な即興ダイアローグを繰り広げるパフォーマーの姿がある。

遠隔にいるパフォーマーの一人、マノン・ハロワは、スクリーンの向こう側で、鳥たちの母親がしばしばそうするように、黄色く透き通った無精卵を自らの体温で温める。ただし、卵は既にそれを匿うものとしての殻を失い、ぬるっとした脆弱な黄身となりハロワの口の中で温まり、もう一度産まれ落ちる。この行為に呼応して、ギャラリー内に佇む大きな観葉植物の鉢植えには再び殻に守られた真っ白い卵が産み落とされることになる。ハロワが産み落とした脆弱な黄身は、ハロワと私たちを隔てる境界を越境するために殻を纏い、形而上的に植物に引きの向かい側と正面より向かって左側の大きな二面の壁に四都市のいずれかが投影され、その新しく開かれた窓が、異なる場所を共時的に行き来する境界面受けられたと解釈できる。鉢植えの観葉植物は、石井の最も重要な絵画モチーフの一つであり、数年来同居する存在である。石井は、この植物が次々に引き受けてしまう空洞の存在、白い殻の無精卵のそれぞれに、生命としての「印」を与え、鑑賞者のもとに注意深く送り届ける。卵は時々潰れ、黄色の絵の具と化し地に流れ、あるいは誰かの掌の内側にそっと届けられる。

東京とストラスブールに接続された窓では、色彩と形に関する記号的・抽象的対話が繰り広げられる一方、京都に開かれた窓では、産み落とされたが誰にも届かなかった無数の卵を救済するように、ひとつずつを丁寧に箸で掬いだそうと無為の試みに没頭する一人の女性の姿が映し出される。女性の試みは一向に成功しないが、彼女はそれをすることを止めはしない。彼女は、生きていなかったはずの卵が、ごく時々は生命を伴って鑑賞者のもとへ届くことがあったように、無為に見える彼女の救済が、いつか有りもしないような奇跡に繋がっていると始めから知っているのだ。

「卵に対する植物の応答」とは何だったのか。ニュイ・ブランシュの夜に散りばめられた星の数ある物語の中で、それが思い出されるのはなぜだろう。それは、作品《卵に対する植物の応答》の経験が、私たちを結ぶからである。それは、夢から醒めたとたんに手から失われてしまう、燃え上がるような興奮ではなく、私たちの中からいなくならず、私たちを静かに温め続ける何かになる。時と空間を越えて、私たちの手の中に届けられた「卵」のように見えるものを、私たちは温めようと努力する必要はない。

それは、ただそこに在り、卵に対する植物の応答があったということを、私たちに証明し続けてくれる。無論、ニュイ・ブランシュはアートのお祭で、お祭とは艶やかな非日常である。文字通り跡形もなく消失する一夜の夢は美しい。一方、新たな関係性の提案とそれを可能にする装置の構築が織り成す一見刹那的な物語が、私たちの現実の世界を全く塗り変えてしまうことが時々ある。アートのスペクタクルは本来そのようにあるべきで、それはまさにニュイ・ブランシュ・ア・パリが遠く京都への伝播に成功した由縁ですらあると言えるのだ。

「Parasophia au Monde」パラ人